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海難~その1

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「海難」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか?

最近では、韓国で起こった旅客船沈没事故、

それ以外では、タイタニック号の事故だろうか。

このどちらもが、多くの犠牲者を出した悲惨な事故だった。

しかもその事故の原因は、人災といっていいほど、

人間の要素の大きい事故であった。

今回は、この「海難」というものについて取り上げてみる。

「海難」という言葉を、国語辞典で調べてみると、

「海上で起こる災難」とある。

つまり、海水浴客の溺死事故なども、海難の範疇に入っている。

が、我々が「海難」という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、

船の沈没による事故である。

これは、その被害者数が多いことも、関係しているようだ。

今回はこの船舶事故にしぼって、「海難」を取り上げる。

韓国の旅客船沈没事故が起こるまでは、「海難」といえば、

おそらく100人のうち、90人以上はタイタニック、と答えていただろう。

それほどにタイタニック号の事故は、有名だ。

映画の題材などにも取り上げられ、何度も映画化されている。

近くのものでは、レオナルド・ディカプリオ主演のものが有名だ。

この映画の影響で、「海難事故」というのは、ロマンチックなものだという、

イメージを持っていた人も、いるのでは無いだろうか?

「海難事故」がロマンチックでないことは、韓国の旅客船沈没事故が

いやというほど見せつけてくれた。

そこにはわずかな美談と、その何倍もの醜聞、

さらにその何十倍もの悲劇があった。

この点では、タイタニック事故も全く変わらない。

ここでまず、もっとも有名な「海難」、タイタニックについて書いてみよう。

タイタニック号の事故が起こったのは、20世紀初頭の1912年のことだ。

この事故が世界でもっとも有名な事故になったのには、

いくつかの理由がある。

ひとつ、タイタニックが、当時世界最大の旅客船であったこと。

ひとつ、海難事件が処女航海中に起こったこと。

ひとつ、氷山との激突という、いわば絵になる事故であったこと。

ひとつ、犠牲者の数が、ひとつの船の遭難事故としては、史上最大であったこと。

ひとつ、避難において、身分の低い乗客たちが不利な状況に置かれたこと。

これだけの条件が揃っていれば、話を作るのに苦労は無いだろう。

具体的にデータをあげれば、この事故が起こったのは北大西洋の

ニューファウンドランド島南東の沖合、約600kmの海域だ。

4月14日23時40分のことであった。

高さ20mの氷山と激突したタイタニック号は、

その右舷を90mに渡って損傷し、沈没を始めた。

4月15日0時15分、救難信号を発信。

沈没は船首から始まり、船尾が海中から大きく突き出す格好となった。

そのため、2時20分には船体はまっぷたつに折れてしまった。

そしてその状態で、沈没した。

タイタニック号は客数分の救命ボートを装備しておらず、

これに乗れなかった乗客たちは、水中に飛び込むしか無かった。

まだ水中に飛び込めた者はいい方で、中には船内からの脱出が間に合わず、

船内において、溺死した乗客も相当数いた。

そして水中に飛び込んだ乗客たちにも、辛い運命が待っていた。

この時期の海水温は零下2度、水中に飛び込めた乗客も

低体温症を起こして、次々と命を落としていった。

乗客数は2223人、このうち1513人が命を落とした。

長らくこの事故が、海難史上最悪の被害者数であったが、

1987年12月、これを上回る事故が発生した。

それがドニャ・パス号沈没事件である。

このドニャ・パス号、もともとは日本の琉球海運が所持していた、

「ひめゆり丸」であった。

これが1976年にフィリピンに売却され、ドン・サルピシオ号となった。

しかしその3年後にこの船は火災を起こし、全損してしまう。

ところがこの船を所持していた、海運会社サルピシオ・ラインは

全損したドン・サルピシオ号を改修し、再び客船として使いはじめたのだ。

それがドニャ・パス号である。

レイテ島からマニラまでの航路に、就航していた。

すでにもとの「ひめゆり丸」の面影が無いほど改造され、

旅客定員も532名から、1518名となっていた。

いかに無茶な改造であったかが、わかるだろう。

さらに当時のフィリピンでは、旅客定員などというものは、

あってないようなもので、クリスマスシーズンなど旅客の増える時期には、

それこそ積み込めるだけ、旅客を詰め込んでいた。

事故は、まさにそのクリスマスシーズンに起きた。

この事故が起こったとき、1518名の定員に対し、
乗客数は約4400名であった。
恐ろしい超過ぶりだ。

「ひめゆり丸」の定員数の、8倍も乗せていたことになる。

恐らく通路も甲板も、人で埋め尽くされていたに違いない。

このドニャ・パス号が、ガソリン1000tを積んだ小型タンカーと衝突した。

たちまちガソリンに引火し、それが海面に流れ出し、辺りは火の海と化した。

救難信号すら出せないほどの、あっという間のできごとであり、

ドニャ・パス号も炎に包まれた。

船は2日間燃え続け、さらに折からの荒天で救助は不可能だった。

この事故で救助されたのは、乗客のみ、わずか22名。

乗組員は全て犠牲になり、4375名の人間が死んだ。

実に、タイタニック号事故の3倍近い犠牲者が出た。

タイタニック号は排水量46328tの船に、2223人を乗せていた。

それに比べ、ドニャ・パス号はわずか2640tの船に、

4000人以上の人間を乗せていた。

恐ろしいほどの過密状態で運行していたことが、この悲劇を招いた。

この海難事故は「平時」における事故として、史上最悪のものである。

そう、あくまでも「平時」である。

次回は「戦時」における海難事故について、書いていく。

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