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紅茶の物語〜その2

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イギリスと中国の「茶」貿易は、
圧倒的に中国有利な条件で行なわれていた。
それは、中国が「茶」の栽培の実態を隠し、
「茶」を栽培している農家と、
イギリス商人との直接の接触さえ、禁じていたためだ。
この一方的な「茶」貿易において、
イギリスの東インド会社は疲弊し、
何らかの打開策を講じねばならなくなった。
イギリスはその打開策として、
インドにおける領土拡張を実行した。
インドにおいて戦争を起こし、ベンガル地方を含む領地を
イギリスの植民地化することに、成功したのである。

そして彼らは、このベンガル地方において、
中国との「茶」貿易に使える、ある「商品」を手に入れた。
そう、「アヘン」である。

イギリス・東インド会社は、
このアヘン貿易を行なうことによって、
資金の調達を行なうようになった。
そしてその貿易相手は、他ならぬ中国であった。

当時の中国では、アヘン吸引が蔓延しており、
かなり深刻な社会問題になっていた。
もちろん、中国はアヘンの輸入を禁じていたのだが、
その取り締まりは緩やかで、
ほとんど規制の意味をなしてはいなかった。
さらに東インド会社は、
直接中国とのアヘン取引を行なわず、
第三者を仕立て、その第三者を間に挟んで
アヘンを売りさばいた。
そして、このアヘンの密売で得た資金で、
彼らは「茶」を購入し、本国へと送っていた。
つまり、ベンガル地方のアヘンを中国へと持ち込み、
その代価として「茶」を持ち出していたことになる。
このアヘン貿易の利益は高く、
1800年にはイギリスの全税収の1割を、
アヘンが稼ぎ出していた。
大英帝国が拡大し、イギリス海軍が各国の海軍を打ち破り、
海の覇権を手に入れることができたのは、
ひとえにこのアヘン貿易によるものであった。

日の登るような勢いで、力をつけていくイギリスとは逆に、
中国は急激にその力を失っていった。
それまでは「茶」などと引き換えに、
金・銀が入ってきていたものが、
アヘンが入ってくるようになったのだから、
経済はボロボロである。
さらに国内にただならぬ量のアヘンが蔓延し、
中国全土にアヘン中毒者があふれかえることになった。
中国はなんとかアヘンの流入を抑えようとしたが、
イギリスがこれを妨害。
ついには2度に渡る、アヘン戦争が起こることになる。
すでに力を失っていた中国は、2度ともにイギリスに完敗。
その代償として、中国国内でのアヘンの販売を
合法化させられてしまうのである。

こうしてボロボロにされた中国は、
政治的にも不安定になっていく。 
太平天国の乱や、義和団事件など、
大規模な反乱が起こるようになり、
やがて辛亥革命によって「清」は倒れ、
1912年に「中華民国」が成立する。
2000年以上にわたった、皇帝の国の終焉であった。

ここで少し時間を巻き戻してみよう。

18世紀末、
すでにアヘンを手に入れていた東インド会社は、
これを使って中国との「茶」貿易を行なっていたが、
それと同時に、謎に包まれていた「茶」について、
その秘密に迫ろうという動きがあった。
中国は「茶」の栽培についてのことを、
完全に秘密にしていたので、
本来なら中国以外にも存在していた
「チャノキ」についても、全くわからなかったのである。
当初、ロンドンの王立植物園や、
カルカッタに作った植物園などで研究をしたものの、
思うような成果は得られなかった。
だが、1830年代に入り、インドのアッサム地方で
野生の「チャノキ」が発見されると、
インドで茶園の設立が始められた。
インドで発見された「チャノキ」は、
中国の「チャノキ」とは少し異なっており、
葉の幅が広く、「緑茶」よりも「紅茶」むきであった。
彼らは中国との「チャノキ」との間で、選抜育種を行ない、
栽培に適したアッサム品種を作り出すことに成功した。

こうしてイギリス資本による、インドでの「茶」栽培は
一気に広まっていき、アッサムの他にも
ダージリンやニルギリにおいて「茶」栽培が始まった。
これらは現在に至るまで、重要な「茶」の産地として、
その名を知られている。
インドでの「茶」の生産量は次第にその数を増やし、
20世紀に入るころには、
中国の生産量を追い抜いていた。

だが、その間、インドも決して平穏であったわけではない。
1857年には、
東インド会社の支配に対する不満が高まり、
インド国内で大反乱が起こる。
この反乱は、最初、メーラトという都市の
インド人傭兵・セポイの反乱だったが、
この反乱がインド各地へと飛び火していき、
結果的には大反乱の引き金になった。
この反乱は、年が明けてようやく鎮圧されたが、
これによって、
イギリスは植民地・インドの重要性を認識し、
腐敗の横行していた東インド会社を解体し、
イギリスが直接支配することになった。
だが、イギリスによるインド統治の時代には、
当のインド人たちには「茶」を飲む風習は広がらず、
インドに「茶」が広まっていくのは、
1947年に、インドが独立した後のことである。
今日では、インドで生産される「茶」の7割が、
インド国内で消費されている。

ここまで、「紅茶」によって翻弄された、
イギリス、中国、インドの歴史について話を進めてきた。
次回は、この「紅茶」が、
世界最大最強の国家を生み出す物語になる。

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