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ホットドッグ

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最近では、日本のプロ野球選手が
メジャーリーグへ移籍することも、
珍しいことではなくなってきたが、
一昔前では、メジャーリーグに移籍した
日本人選手の話題は、
スポーツニュースのトップで扱われたものだ。

この先駆者となったのが、
近鉄バッファローズに所属していた野茂英雄で、
1995年にロサンゼルス・ドジャースと
マイナー契約を結んだ。
スポーツニュースは連日のように、
その番組内で野茂の活躍を取り上げ、
そしてその活躍のみならず、
それに盛り上がるメジャーファンの姿も日本へと届けた。
メジャーリーグのファンの姿が
日本に届けられることにより、
ああ、本場のメジャーリーグというのは、
こんな感じで盛り上がるものなんだなーと、
日本の野球ファン、ならびに一般人に知らしめたのである。

そこで目についたのが、「ホットドッグ」である。

もちろん、日本でもホットドッグは知られている。
コッペパンを縦割りに切れ目を入れ、
そこに炒めたキャベツをタップリと入れた後、
その上にソーセージをのせる。
さらにその上から、
赤いトマトケチャップと黄色いマスタードをかけて
かぶりつくのが、ホットドッグの流儀である。

だが、日本ではホットドッグを販売している所は少ない。
現在でこそ、コンビニや町のパン屋でも
ホットドッグを扱っている所も増えてきたが、
当時といえば、まだまだ、
ホットドッグはマイナーな存在であった。
(現在でも、決してメジャーとは言い難いが……)
ではどうすれば、ホットドッグを
食べることが出来たかといえば、
材料を買って、自宅で作るのが一番お手軽であった。
車を改造した屋台で移動販売していたり、
喫茶店のメニューの片隅に
ひっそりと載っていることもあるが、
これらに巡り会うのはなかなか難しく、
結局の所、自分で作るのが
一番手っ取り早いということになるのである。

ホットドッグの歴史を遡っていくと、
少なくとも、アメリカで生まれたということは
間違いがないようだ。
前回、「ハンバーガー」について書いた際、
1870年代には「ホットドッグ」が
販売されていたと書いた。
このホットドッグの販売を行なっていたのが、
1856年にニューヨークへやってきた
ドイツ系移民のチャールズ・フェルトマンだ。
彼は屋台を皮切りに、ケータリング業を営み成功。
このフェルトマンの従業員の中に、
ネイサン・ハンドワーカーなる人物がいた。
彼は1916年に独立し、地下鉄駅のそばに
「ネイサンズ」を開店した。
この地下鉄駅の近くには、
ニューヨークの人気の行楽地・コニーアイランドがあった。
都会から日帰りで遊びにいくことの出来る
コニーアイランドは、地下鉄の開通とともに
ますますその人気を高め、
それと同時に駅の近くにあった「ネイサンズ」も、
コニーアイランドの名物として人気を得た。
この「ネイサンズ」は
現在もコニーアイランドの名物として
知られており、今では全米に300以上の店を持っている。

以上の話を見た限りでは、
1870年代には、すでにフェルトマンの手によって
ホットドッグが販売されている。
確認できる限りでは、これがもっとも古い
ホットドッグの記録になるのだが、
一説では、ソーセージをパンで挟んだホットドッグは、
このフェルトマンの店で作り出された、ともいわれる。
というのも、
もともと「ホットドッグ」という言葉は、
パンにソーセージを挟んだ食品のことではなく、
ソーセージだけをさしていたからである。
フランクフルター(フランクフルトソーセージ)と
呼ばれた細長いソーセージは、それ自体が
ドイツ原産の細長い犬・ダックスフントにかけられて
「ホットドッグ」と呼ばれていた。
フェルトマンは、自らの出身地であるドイツ産の
ソーセージのみを販売していたのだが、
熱々のソーセージを手に持ちやすくするために、
これをパンで挟んだ、というのである。
たしかに焼いたり茹でたりしたソーセージは熱く、
包み紙で巻いた所で、その熱さは遮断できない。
日本でやっているように、串に刺して販売してもいいが、
それでは食べ終わった後に「串」というゴミが出てしまう。
では、どうすればいいか?
その答えが、パンによってソーセージを挟み、熱を遮断し、
ソーセージと一緒にパンを食べてしまうことによって、
全くゴミを出さない、というアイデアだったのだろう。

そして、もうひとつ。
ホットドッグと切っても切れないのが、
メジャーリーグである。
メジャーリーグは1893年から始まったが、
その開始時から、ホットドッグは販売されていた。
1870年代にホットドッグが生まれたとすれば、
すでに20年という年月が経過している。
このころにはホットドッグはアメリカ市民の間に広がり、
ある程度の人気を獲得していたのだろう。
「ハンバーガー発祥の店」の歴史を信じるのならば、
メジャーリーグが始まったのは、
ハンバーガーが作られる前である。
アメリカにおいて、ホットドッグと人気を二分する
「宿敵」が誕生していない時代、
恐らくホットドッグは、
絶対的な人気を持っていたのだろう。
人々は、始まったばかりのメジャーリーグを、
ホットドッグを片手に楽しんだに違いない。
そしてそれは、決して切り離すことの出来ないものとして、
アメリカ人たちの心に刻まれたのだろう。

アメリカというのは新しく、歴史のない国である。
だからこそ、自らの国で生まれた新しい食文化を
そのまま自らの歴史とすべく、
メジャーリーグ観戦にはホットドッグと、
頑なまでの思い入れを持って、守ってきたのだろう。
そうした先人たちの想いはかない、
メジャーリーグといえばホットドッグと、
我々日本人でさえも、認めるまでになった。

日本で最初にホットドッグが販売されたのは、
昭和9年(1934年)に行なわれた、
日米親善野球のときである。
当時の大人気メジャーリーガー、ベーブ・ルースも来日し、
大いに盛り上がったのだが、
そのとき、甲子園球場にてホットドッグを販売したのが、
当時神戸に住んでいたドイツ人のヘルマンであった。
ドイツの食肉マイスターだった彼は、
第1次世界大戦中に捕虜となり、
日本の収容所に入れられた。
戦後、解放された彼は
日本でハム・ソーセージ製造の指導に当たっていたのだ。
(同じように、バームクーヘンで有名な
 カール・ユーハイムも、第1次世界大戦で捕虜となり
 日本の神戸へとやってきて、
 日本にバームクーヘンを伝えてくれた)
彼の作ったソーセージは「ヘルマンソーセージ」と呼ばれ、
現在まで受け継がれている。

アメリカ人にとっての、
いわばソウルフードともいえる「ホットドッグ」。
日本では売っている所も少なく、
結局自分で作るしかない、というのが現状ではあるが、
どうせ作るのであれば、いかにもアメリカらしく、
特大サイズで作ってみるのも良いかもしれない。

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