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シイタケ〜その2

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前回、冷蔵技術が発達して
「生シイタケ」が流通しはじめるまでは、
「干しシイタケ」こそが「シイタケ」であったと書いた。

これはシイタケをはじめとするキノコ類が、
常温のままでは、さして日持ちがせず、
すぐに傷んでしまうため、長期の「保存」を目的として
「干しシイタケ」へと加工されていたためである。
現在では冷蔵技術と、これを併用した輸送技術が確立され、
スーパーの店先などでも
「生シイタケ」を見ることが出来るが、
これを購入し、冷蔵庫の中に入れておいたとしても
やはり日持ちはせず、
時間の経過とともに劣化が進んでいく。
ひどいものになれば、すでに店先に並んでいる状態で
劣化の兆しが現れているものもある。
つまり、冷蔵技術など、科学の進んだ現代においても、
「生」のキノコ類の鮮度を保っておくことは
至難の業なのである。

そういう事情を考えてみると、
全てのシイタケを乾燥させ
「干しシイタケ」に加工していたというのは、
そうせざるを得なかった、ということだろう。
しかし、日本では食材を日持ちさせる際、
「干して乾燥させる」以外にも、
行なわれていた方法がある。
そう、「塩漬け」である。
この方法もまた、古来より
食材を長期保存するための方法として、
いろんな食材へと使われてきた。
シイタケの場合、「塩漬け」という方法は
とられなかったのだろうか?

調べてみた所、シイタケの場合、
「塩漬け」加工を施されたという記録は見つからなかった。
検索サイトで、「シイタケ」「塩漬け」というワードで
検索してみても、
ヒットするのは現在、販売されているものか
個人のサイトでレシピを紹介しているものが
ほとんどである。
これを見る限り、「塩漬け」加工のシイタケは
比較的最近になって作られるようになったものだとしか
考えられない。
何故、シイタケは長らく「塩漬け」にされることなく、
「干され」続けてきたのだろうか?

これは、「シイタケ」が長く、
日本の重要な輸出品であったことと関係している。
9世紀ごろ、中国の食文化が持ち込まれた際、
その中に「干しシイタケ」が含まれていた。
中国では、シイタケに限らず、
様々な食品を「干す」ことにより、
乾物へと加工している。
中国において、食品を「干す」ことは、
保存性を高めるというよりも、
味わいを「深く」変化させるという意味合いの方が強い。
実際に中国の食品を見てみると、
「干しタケノコ」や「干しアワビ」など、
日本では「生」で食されているものの多くが「干」され、
中国独特の食品になっている。
シイタケの場合、中国から「干しシイタケ」という
食品が入ってきたため、それに習い、
シイタケを「干す」のが
当たり前になってしまったのだと思われる。

「干しシイタケ」が日本に伝えられた当時、
シイタケの栽培はまだ始まっておらず、
全てが天然ものであった。
もともとはこれを収穫し、そのまま火を通して
食べていたのではないかと思われるが、
お隣の先進国「中国」において、
シイタケを「干した」ものが、
高額で売買されていることを知った当時の日本人たちは、
天然物のシイタケを「干しシイタケ」に加工し、
中国人に売ることを始めた。
当時の日本産の「干しシイタケ」は、
中国産に比べ高品質で、
中国内でも高額で取引されていたようだ。
まだまだ、海を渡るのが大変だった時代、
多額の費用を持って輸送船を仕立て、
日本の「干しシイタケ」を中国へと持ち帰った。
このことからも、「日本産干しシイタケ」が
いかに珍重されていたかがわかる。
当時の日本は、
「干しシイタケ」を輸出することによって、
代わりに様々な物品を輸入していた。
この「干しシイタケ」の輸出は、
鎖国の始まった江戸時代においても続けられ、
ほぼ近代に至るまで、日本の重要な輸出品であり続けた。
そういう風に見ると、「干しシイタケ」の輸出よって、
単純に中国の物品を手に入れていたというだけでなく、
日本の文化が先進国から遅れないように、
下支えをしてくれていた、とも言えるのである。

日本でシイタケ栽培が始まり、その生産量が増大しても、
国内の需要はほとんど伸びず、
その多くが輸出へと回されていた。
時代が進み、輸出先も世界各国へと広がっていくが、
面白いことに新たな輸出先となった国でも、
そこで日本産の「干しシイタケ」を購入しているのは、
中国人を中心としたアジア人であった。
中国の本土を離れ、世界へ進出していった中国人たちは、
それぞれの国で中国人街を作り、
「華僑」として活躍した。
世界各国へのシイタケの輸出量と、
世界各国での華僑の人口は、
面白いくらいにぴったりと一致しているのである。
これはシイタケが、
アジア人に限定された人気を誇っていることを、
如実に物語っている。

「干しシイタケ」の需要は、
昭和期になり、戦後になってなお増え続けた。
中国人の世界進出に比例するように輸出量は伸び、
また、国内でも健康食ブームなどにより、
その需要は増大していった。
日本の山村では、戦後、材木需要が減り、
厳しい経済状況が続いていたため、
どこも「シイタケ栽培」に飛びついた。
また、国もこの動きを支援し、その結果として
日本全国に「シイタケ栽培」が
急速に広がっていったのである。
やがてシイタケの販売は内需と外需が逆転し、
輸出量よりも国内販売量が上回るようになる。

だが、ひとつ見逃せない点がある。
昭和に入り、種駒を使った栽培方法が広がり、
収穫量は増えた。
輸出量よりも国内販売量が増え、内需も拡大した。
しかし、相変わらずシイタケは「高級品」であったのだ。
今では信じられないことだが、
昭和40年ごろまでは「干しシイタケ」の値段は、
「松茸」よりも高く、高級品であった。
歴史上、松茸がシイタケよりも高級なキノコになったのは、
ここ半世紀ほどの間だけなのである。

こうしてシイタケの生産量は右肩上がりに増え続け、
昭和59年には、それまでで最高の16600t以上の
生産量を記録した。
需要は供給を上回り、
各生産地では栽培用の原木の調達が追いつかず、
他府県から原木を調達するような事態にもなった。
まさにシイタケ界の絶頂期ともいえる時代であった。

だが、やがてこれにも翳りが見え始める。
まず、国内では家庭の核家族化が進み、食生活も変化した。
それにともない、家庭でのシイタケ消費量は激減した。
さらに悪いことは続く。
中国産のシイタケの台頭である。
それまでは品質の点において、
日本のシイタケに遠く及ばなかった中国産シイタケが、
その品質を向上させ、さらにその強大な生産力を背景に
安価な中国産シイタケを市場に供給し始めたのである。
こうなると、日本産シイタケは中国産におされ、
急速にそのシェアを失っていく。
輸出量は減り、国内には中国産シイタケが氾濫した。
農薬問題などをきっかけに、
中国産シイタケの危険性が懸念されたこともあったが、
それでもなお、現在に至るまで
中国産が幅を利かせているのは、
スーパーのキノコ売り場を見てもわかるとおりである。

そう、ここまで書いた記事を見てもらえればわかるが、
途中まで「干しシイタケ」と書いていたものが、
一定の時代を超えた辺りから、
ただ「シイタケ」と書いている。
この辺りが、市場で「生シイタケ」が
幅を利かせ始めたころである。
シイタケ全体のシェアが減っている中、
さらに「干しシイタケ」は、「生シイタケ」にも押され、
数字以上ににその販売量を落としている。
(それでも平成になるまでは、
 干しシイタケ(生換算)の方が多かったのであるが)
最近の子供たちの中には、
「干しシイタケが好き・嫌い」という人数を
合わせた数より、
「干しシイタケを食べたことがない」という人数の方が
多いという。

かつて、日本重要の輸出品であり、
庶民には手が出なかったという往時の面影は、すでにない。

次回はその忘れ去られつつある「干しシイタケ」と、
「シイタケ」の栄養やら何やらの、
諸々について書いていく。

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