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サラダ

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サラダというのは、不思議な料理である。

国語辞典で「サラダ」をひいてみると、

・生野菜を主にして、油と酢、
 又はマヨネーズソースで和えたもの

ということになっている。
極めてシンプルな説明だが、よくよく考えてみれば
これに含まれないサラダも多い。
ポテトサラダのように、
火を通した野菜を使うサラダもあるし、
マカロニサラダのように、
そもそも野菜がメインでないサラダもある。
肉や魚をメインにしたサラダもあり、
その調理法には、
ほとんど一貫性がないのである。

古い百科事典を調べてみると、

・生野菜を主に、肉・魚・卵・果物などを適宜混ぜ合わせ、
 酸味の調味料で味付けした洋風料理の一種

となっている。
これを見た限りでは、
やはり生野菜を主にもってきているものの、 
それ以外の材料についても、わりと柔軟に受け入れている。
重要なのは「酸味」の調味料と、
その味付けに言及している点だろう。
なるほど、確かに様々なサラダはあるものの、
その味付けには、なんらかの「酸味」が使われている。
スーパーなどで販売されている市販のドレッシング類でも、
ほぼ100%の商品で食酢が使われており、
もっとこだわりのある商品では、
柑橘類の果汁などを使って酸味を出している。
こうしてみると、「酸味」というのは
サラダにおいて、欠かせない要素であるようにも思える。

サラダがいつ生まれたのか、ということを調べてみると、
大体の所で、古代ギリシャの話が語られている。
いわく、生野菜(というよりは野草)に
塩をふって食べたのが、サラダの始まりらしい。
こういう風に聞くと、
初めて食べた野草とは一体なんだったのか?
と気になってくる。

調べてみると、これを「ハーブ」としているものと
「キュウリ」や「カボチャ」としているもの、
さらに「レタス」であったとしているものがあった。
ここに挙げられた野菜のうち、キュウリとレタスは、
現在でも生で食べられることの多い野菜だ。
ハーブについては、生で食べるものもあるし、
火を通すものもある。
ただ、カボチャに関していえば、
生食出来る種もあるのだが、
やはり生食は一般的ではない。
さらに、南米原産である筈のカボチャが
古代ギリシャに存在したのか?という点にも疑問が残る。
キュウリ、レタスに関しては、古代ギリシャで
食べられていたと考えても、さしつかえなく、
レタスに至っては、
媚薬・催淫剤として使われていたという。
え?あのレタスにそんなエッチな効果が?
と思ってしまうが、さすがにそんな効果は無いようである。
ただ、レタスの切り口から流れる白い液体には、
軽い鎮静効果と催眠効果がある。
俗説ではあるが、レタスを4分の1食べると眠くなる、
と言われることもあるらしい。
媚薬・催淫剤と鎮静・催眠効果では、
身体への影響は全くの正反対である。

ただ、媚薬・催淫効果があると信じられていたのは
確からしいので、古代ギリシャ人が
せっせとレタスを食べていた可能性はある。
その場合、さすがに何もつけずに食べたのでは
飽きがくるのも早いだろう。
塩をふりかけるのは当然として、
他にも様々な調味料を試したのではないか?
記録によれば、古代ギリシャ人が
レタスに酢や油をかけて食べていたという文献もあり、
そうなると、随分と早い段階から、
現在のサラダに近いものが、
食べられていたということになる。
……。
ということは、何だろうか?
サラダは古代ギリシャ人の、
エロへの情熱が生み出したということか?
で、あるならば、現在、我々が抱いている
「サラダ」=「健康」というイメージが
木っ端微塵に打ち砕かれてしまう。

16世紀から17世紀になると、
新大陸から様々な新野菜が、ヨーロッパへと持ち込まれた。
このとき持ち込まれた野菜の中には、
トマト、ピーマン、ジャガイモなどがある。
どれも現在ではサラダの材料として、
欠かせない野菜である。
現在のサラダの原型は、
このころに出来上がったといわれている。

日本にサラダが持ち込まれたのは、明治時代になり、
諸外国との外交が始まってからである。
それ以前の日本には、野菜を生食するという風習が無く、
野菜は漬け物にするか、汁物、おひたし、煮物など、
火を通して食べるのが当たり前であった。
というのも、日本では畑の肥料として
下肥(糞尿)が使われており、
回虫やギョウ虫などの寄生虫が多かったからである。
そのような野菜を生のまま食べることは、
危険であったため、
野菜の生食が行なわれてこなかったのだと考えられる。
日本でサラダが一般的に食べられるようになるのは、
第2次世界大戦後のことである。
GHQによって、化学肥料や堆肥の使用が推し進められ、
生で食べられる野菜が増えていった。
初期のサラダとしては、
茹でたブロッコリーやカリフラワーを
マヨネーズであえたものや、
マカロニを主体にしたマカロニサラダ、
茹でたジャガイモを主体にしたポテトサラダなどあり、
この辺りは寄生虫に対する配慮が感じられる。
現在のように、様々な生野菜を刻み、
ドレッシングをかけたサラダが普及するのは、
比較的最近のことである。

サラダの語源が、塩を表すラテン語の
「サル」であるというのは有名な話だが、
同じようにサラダに欠かせない「ドレッシング」は、
ドレスや衣装を着せることを意味している。
冷静に考えてみれば、サラダにかけるソースに
「ドレッシング」と名前を付けるのは奇妙である。
だが、先に書いたとおり、
サラダが古代ギリシャ人の
エロへの情熱が生み出したとすれば、
サラダソースに「服を着せる」というような
名前を付けたのも、何やら暗示的に思えてくる。
男女の「お楽しみ」の前に、タップリと食べるサラダ。
それに調味料をかける際、
「ドレッシング」などという、
ウィットの聞いた言葉を使ったのではないか。
そしてそのまま、その言葉だけが延々と
現在まで残ったのではないだろうか。

現在、健康のために、
せっせと食べられている「サラダ」。
しかしその出自には、なんとも「不健康」な香りが
ぷんぷんと臭っているのである。

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