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かりんとう

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まず、何といっても形がよくない。

ひとくち、あるいはふたくち大のサイズであるのだが、

微妙に曲がっていて、太さも均一でもない。

表面は滑らかでなく、黒褐色でざらざらだ。

「あばたもえくぼ」という言葉があるが、

これに関していえば、「あばた」は、どこまでいっても

「あばた」にしか見えない。

が、この「あばた」は非常にウマそうな「あばた」で、そこにそそられる。

今回は、駄菓子の中の駄菓子、「かりんとう」について書いていく。

現代っ子の中には、「かりんとう」を知らない子も多いだろう。

駄菓子の中の駄菓子と書いたが、

すでに子供からの関心はないと、言い切ってもいい。

子供の中には、「かりんとう」の見た目から、

これを一種のチョコレート菓子と、勘違いする子供もいる。

なるほど、ちょっと見た感じには、チョコレート味のスナックのようにも見える。

そういう子供は、実際に買ってみて、食べてみるとがっかりする。

期待していた、チョコレートの味わいとは違うからだ。

べっとりとした、強烈な砂糖の味わい。

子供たちのがっかりとした姿が、目に浮かんでくるようだ。

……いや、本当にがっかりしたのだ。

「かりんとう」は小麦粉に砂糖を加えて、固めに練り、直径1cm、

長さ5cmくらいの円筒形に切り、油で揚げ、黒糖蜜をまぶして乾かしたものだ。

生地の中に重曹を混ぜることもある。

この黒糖蜜の「かりんとう」がもっともメジャーであるが、

現在では、ピーナッツ、胡麻、蕎麦粉、大豆などを混ぜたものも、作られている。

これがいつくらいから作られていたか、ということになると、

その意見は大きく別れる。

まず、「かりんとう」の起源を、奈良時代に日本に持ち込まれた

唐菓子とする場合だ。

この中には、米粉や小麦粉を練った生地を、油で揚げたものが存在する。

素材的な点、調理方法の点で、たしかに「かりんとう」に通じるものがある。

しかし、これは当時としては最高級の菓子である。

そういう意味で、駄菓子の中の駄菓子「かりんとう」とは、

根本的にそのスタンスが違っている。

唐菓子をもとにするという説をとらない場合、

「かりんとう」の発明は、ぐっと時代を下がることになる。

室町時代から戦国時代、日本にやってきたポルトガル人達によって、

もたらされたという説である。

しかし南蛮菓子の中には、油で揚げたものは存在していない。

果たして本当に南蛮菓子の中に、「かりんとう」はあったのか?

いや、あった可能性はあるのか?

実は可能性だけの話でいえば、あるのである。

「天ぷら」の回でも書いたが、唐菓子以来、食用油の供給の関係上、

一般的でなかった「揚げる」という調理技法を広めたのは、

「天ぷら」を日本に伝えたポルトガル人である。

油で小麦粉を揚げている、という点では極めてかりんとうに近い。

ここで、考えてほしいのは天ぷらを作る際に、余った生地のことである。

仮に、この余った生地を捨てることを、もったいないと考えた人間がいて、

これをどうにかして全部使い切ってしまいたいと考えた場合、

方法は大きく2つあると思う。

ひとつはその軟らかい生地のまま、揚げるなり、焼くなりする方法。

恐らくこの場合は焼くことになるだろう。

軟らかい生地を、かたまり状に揚げるのは難しく、バラバラになりやすい。

それならば鉄板の上にでも流して、焼いた方がいい。

もうひとつは、生地にさらに小麦粉を加え、生地を硬くしパン種状のものにする。

そしてこれを、揚げるなり焼くなりする。

恐らく揚げるだろう。

目の前には、今まで天ぷらを揚げていた油が、まだ熱を持っているのだ。

これを使わない手はない。

手早く揚がるように、生地を細かくして油の中に放り込む。

そうすれば、「かりんとう」に近いものができることになる。

さらに、ポルトガル人が初めて天ぷらを伝えたのは、長崎だという。

貿易港長崎であれば、当時輸入に頼っていた砂糖も入手しやすかったに違いない。

つまり天ぷらの後処理として「かりんとう」は作られたのではないか?

そうであれば、これはひとつの余り物である。

駄菓子という身分を与えられたとしても、不思議はない。

さらに時代が下り、江戸時代中期に「かりんとう」と似たものが

江戸で作られていたという話がある。

ただこのころの「かりんとう」は、まだ「かりんとう」という名前ではなかった。

「かりんとう」の名前が初めてつけられたのは、天保年間、

江戸深川の山口屋吉兵衛であるとされる。

漢字で書くと「花林糖」。

これはただの当て字であり、その名前の由来は折ったときに、

「カリン」と音がするということから、「かりんとう」と名付けたという。

しかしこれには異説も多くあり、真偽のほどは明らかでない。

やがて明治時代にはいり、東京浅草仲見世の飯田屋が、

この「かりんとう」に黒糖蜜をまぶしたものを発売した。

この素朴な甘みは大衆の支持を受け、一気に広まっていった。

まだまだ高価だった上白糖を使わず、黒糖を使っている所に

当時の時代背景が現れているといえるだろう。

もうひとつ、兵庫県姫路市を「かりんとう」の発祥の地とする説もある。

姫路藩の河合寸翁が、長崎まで藩士を派遣しヨーロッパの油菓子の技術を

持ち帰らせたのが、姫路駄菓子の始まりとされているが、

その中に「かりんとう」があったというのだ。

それがポルトガルの菓子「コスクラン」であるとも、

中国の菓子「マーファール」であるともいわれている。

しかし長崎の出島に出入りを許されていた外国人は、

中国人とオランダ人のみであり、その点を考慮すると、

「マーファール」の線が濃厚に思える。

ただ、こちらは、あくまでも製法が伝わったというだけで、

「かりんとう」の名前がつけられたという話は、残っていない。

現在でも、姫路駄菓子の名前で売られている「かりんとう」はたくさんあるが、

その種類は実に多彩で、それぞれに個別の名前が付けられている。

姫路における「かりんとう」のネーミングは、後からつけられたものであろう。

「かりんとう」は後を引く菓子だ。

いくつか食べて、満足したと思っても、気がついたらまた手が伸びている。

これは「かりんとう」が、油で揚げてあることに起因している。

糖分だけを摂取すると、すぐに満足感を感じるが、

糖分と脂肪分をあわせて摂取すると、この満足感を感じないようになる。

チョコレートやドーナッツなどは、まさにこの典型といえる。

そういう意味では、「かりんとう」は和菓子の中でも、洋菓子的な要素を

含んでいるといえる。

つまり、誘惑に負けて食べ過ぎると、後に体重計を見て泣くことになる。

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