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黄砂

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先日、市内の山に登ってみると、
どうも山頂からの展望が良くない。
いつもなら、眼下に瀬戸内海が広がっているのだが、
この日に限っては海は見えず、
海が見えるはずの場所は、
うすぼんやりとしたモヤに包まれていた。
これは「黄砂」である。

日本では、春先になると、
このように空がかすんで見えることが多くなる。
「春霞(はるがすみ)」とも呼ばれる「それ」は、
大気中に水分が増え、
気温が低下するなどの要因によって、
微粒子状となり、空気中に漂っているものである。
本来は昼と夜の変わり目など、
寒暖差の大きい時間帯に起こるものだが、
この日の「それ」は、昼日中の正午過ぎに起こっていた。
さらにそのモヤは、微妙に薄茶けた色をしていた。
つまりこれは、水分が微粒子状になった「霞」ではなく、
別の要因によって引き起こされた「モヤ」である。
この原因というのが、はるか西の大陸より飛来する、
微粒子状の砂粒なのである。

先日、播磨地方を覆った黄色い「モヤ」の出所は、
中国西部や、中国北部の砂漠地帯である。
崑崙山脈の北に位置する「タクラマカン砂漠」。
モンゴルと中国の国境付近に広がる「ゴビ砂漠」。
さらにゴビ砂漠の南に位置する「黄土高原」。
主にこの辺りが、黄色い「モヤ」の生まれ故郷だ。

「黄土」という言葉からもわかるように、
この辺りの砂や土は、黄色味を帯びている。
有名な中国の大河に「黄河」があるが、
この中国最大の大河も、ゴビ砂漠と黄土高原の間を、
縫うようにして流れており、
「黄河」の黄色い水の色も、同じ黄色味を帯びた土が、
その水の中に含まれているためである。
その黄色味を帯びた砂や土が風で巻き上げられ、
偏西風など風の影響によって海を越え、
日本までやってきたのが「黄砂」なのである。

ここで、ん?偏西風の影響ということなら、
1年中「黄砂」が飛んできてても、
おかしくないんじゃない?と、考える人もいるだろう。
確かに偏西風というのは、1年中吹いている風で、
日本の天気が西から東へと移っていくのも、
この影響によるものだ。
日本の天気は1年を通じて、西から東へと移っていく。
つまりそれは、偏西風が1年中変わらず吹いている
証明であるともいえる。
だとすれば、中国の砂漠から飛んでくる「黄砂」も、
同じように1年中飛んできていてもいいはずだ。
どうして「黄砂」は、
春先にしか観測されないのであろうか?

これはひとえに、「黄砂」の供給元である、
砂漠の状況に関係している。
「冬」、シベリア高気圧の影響を受ける
これらの砂漠では、風がほとんど吹かない
穏やかな日が続く。
さらにほとんどの乾燥地帯では、
地面が積雪に覆われてしまうため、
砂が上空へと巻き上げられることがない。
やがて「春」が訪れると、地面を覆っていた雪は溶け、
高気圧が弱まり、低気圧が発達して強風が吹いたり、
偏西風が強くなったりする。
このときに大量の砂が巻き上げられ、
特に小さな砂粒は、風に乗って海を渡り、
日本へとやってくるのである。
ところがさらに季節が進み「夏」になると、
雨が多くなり、地面がしっかりと固められ、
さらに植物の繁茂によって、地表が覆われることにより、
砂は風が吹いても、ほとんど飛ばなくなる。
「秋」もまた、「夏」と同じように
地表が水で固められ、植物で覆われているため、
1年のうち、もっとも黄砂の発生しにくい
季節となっている。

この「黄砂」について、本場(?)中国では、
紀元前1150年ごろにはすでに、
文献上に記されている。
「塵雨」と書かれているのがそれで、
他にも「雨土」「雨砂」「黄霧」などとも呼ばれていた。
中国の隣国・朝鮮では、
「三国史記」に174年の記述として、
「雨土」という表現がある。
朝鮮では、「黄砂」は神々の怒りによって、
雨や雪の代わりに降らされている、と考えられていた。

日本では江戸時代ごろから、
「黄砂」に関する記述が見られるようになる。
「泥雨」「紅雪」「黄雪」と書かれているのが、
それである。
もちろん、「黄砂」自体はもっと以前から
日本にやってきていたはずなので、
恐らくは、その原因が
中国の砂漠の砂であることが判明したのが、
このころだったのではないだろうか?
これ以前に書かれた短歌にも、
「春霞」という言葉が使われているが、
この中にも「黄砂」が混じっていたものと思われる。

ただ「黄砂」という言葉自体が
使われるようになったのは、
かなり後になってかららしく、
昭和30年代後半に出版された百科事典を調べてみても、
「黄砂」の項目は存在しない。
「春霞」という項目も存在せず、
ただ「霞」という項目があるだけである。
この「霞」という項目の中では、
中国から飛来する微粒子状の「砂」については、
一言も触れられていない。
中国、日本、両国で、
ここまで「黄砂」という言葉が出ていない所を見ると、
この言葉自体、近年になって作られた
言葉である可能性がある。
「黄砂」という言葉がいつから使われ始めたのか、
調べてみたが、全くわからなかった。
日本では、「黄砂」の観測がはじめられたのが、
1967年(昭和42年)であるので、
先の昭和30年代後半の百科事典に
「黄砂」の項目がなかったことを考えると、
恐らくは1967年、「黄砂」観測を始めるにあたって、
作られた言葉ではないだろうか?

近年、「黄砂」は増える傾向にある。
その原因として考えられるのは、
中国で過剰に進められた農地拡大や放牧拡大で、
これによって土地の乾燥化が進み、砂漠が増えたので、
自然と「黄砂」の量も増えたのだと考えられる。
日本でも、微小ながら様々な「黄砂」の被害があるが、
本場・中国や、その隣国・韓国などでは、
日本とは比べ物にならないほど、
深刻な社会問題になっている。
この他にも、地下水を組み上げすぎたために
池や川、湖などが干上がって乾燥して、
砂漠になったためという理由や、
地球温暖化の影響であるともいわれている。

いずれにしても、大陸から風に乗ってやってくるため、
日本国内では、後手後手に回った対応しか出来ず、
抜本的な「黄砂対策」に関しては、
中国の緑化政策や、地下水の組み上げ規制などに
期待するしかないのが、現状である。

かつては「春霞」と同じように、
一種の春の風物詩のように扱われていた「黄砂」だが、
近年はこれに付着した有害物質も問題視され、
「黄砂」はあまり良いイメージで見られていない。

いつか、有害物質など全く付着していない「黄砂」に
戻ってもらいたい所だが、
中国の現状を見ている限り、
当分の間は、叶わない願いであるようだ。

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